ഇങ്കോ

インコに向かって呟くだけの鳥籠🦜

映画「パラサイト」観ました

映画「パラサイト」観ました。重くのしかかってきて、昨日今日続けて観ました。カラー版と白黒版。

 

検索したら考察されてる人が沢山で、それらを読むのも面白かったです。ストーリーを知ってからもう一度観ると細かい伏線が散りばめられていて構成も見事。

 

貧困層だけを描くんじゃなくて、富裕層との対比が鮮烈でした。自分には何ができるのかと考えながら過ごしています。

 

富裕層は富裕層で、ああやって世の中の臭いものを見ずに過ごすことが、本当に幸せに満ち溢れている人生なんだろうか?と疑問に思います。

 

半地下の家族の行動にも、自分たちさえ良ければいいような身勝手なものも多くて(振り返って反省して想いを馳せる描写はあった)最初は共感できなかったですが、格差の不条理と闘うには真っ当に闘うのでは越えられない壁があるんでしょうね。

 

それにしても、地下の夫婦と協力できなかったことがまた悲しい。半地下でも地下でもお互いに横の連隊があればできることも増えます。協力し合って少しずつ世界を変えられないのだろうかと。皆自分とその家族を守ることに必死なのは、貧困層も富裕層も同レベルに見えました。

 

この映画では、臭いが格差すなわち住む世界を分断する象徴として描かれていました。どこかの地域で(ベルリン?)公共のシャワールームのような清潔を保てるような施設があったと記憶しています。そういった最低限の政治分配ができれば、このような悲劇は起こらないのでしょうか。

 

どう生きようか、自分には何ができるか。

 

万引き家族」は貧困でも人間的な幸せがあったしそういったことを描いていました。のしあがるだけじゃない、血の通った幸せのようなもの。「淀川アジール」に至っては、ホームレス生活が豊かで人も動物も寄ってくるという、見習うべき教訓に満ちたすごい生き方が紹介されていました。

 

「パラサイト」の場合、家族単位の繁栄、他を蹴落として富と名誉を得ることこそが幸せのような価値観を持っているかぎり、抜け出せないと思いました。やっぱり自分的にはどこに誇りを持って生きるか、でしょうか。どんな境遇の中にいても、富に溢れていても貧しくても。心だけは目に見える物質に全て左右されない。

 

劇中に半地下の母親が、豊かだったら私だって優しくなるっていう趣旨のセリフを言っていました。それには自分は少し懐疑的に思っていて、なぜならアウシュヴィッツでさえ助け合いがあったと言われているから。信仰心?モラル?教養?今それらは貧困によって手が届かないものなのかもしれませんが。

 

非物質的な豊かさは、この映画で描かれた貧困層にも富裕層にも足りていないんじゃないかと思わされました。

 

 

 

パラサイト 半地下の家族(吹替版)