ഇങ്കോ

インコに向かって呟くだけの鳥籠🦜

「監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影」見ました

Netflix「The Social Dilemma」(原題)2020年。

 

 

sns中毒による鬱から政治の分断まで、googlefacebookなどの錚々たる巨大企業の内部にいた人たちが、このままではいけないと、次々に問題を説明してくれる映画。

 

なぜこうなってしまったかというと、お金が必要だから。より多くの広告を見せるために。少しでも長く止まってもらう必要がある。

 

解決に向けての提案が、法による規制はともかく、スマホを捨てて外に出ること、snsを消去することってことに向かっていて、結局そうするしかないのか〜っ

 

でも映画でももちろん言われているけれど、snsは知らない情報を得たり好きなものや人に出会えたり自分の発信を広められたり、良いところがたくさんある。

 

法が整うまでは、自分で納得のいくコントロールをしたいって思いつつも、なかなか難しいんですよね。仮に1日に3回しか見ないぞって決めても、ついつい気になって見てしまうということ自体、立派な中毒者なのでしょうね。まずは自覚から。

 

古いスマホを持っていた時、バッテリーの劣化ですぐに充電が減るから(外出時は特に)できるだけスマホを見ずに過ごしていた時期があったのですが、あの時は確かに少しスマホ断ちできていた気がします。不可抗力は強いですね・・・。

 

中毒の何がいけないって、反応が気になってのびのびと行動できなくなることや、四六時中チェックしてしまうことで過剰な情報にまみれて頭がいっぱいになること、そういうことに人生の時間の多くが消費されてしまっていること。(そして映画では政治思想の二極化や民主主義の劣化が描かれているわけです。)

 

スマホを絶っても、PCで開くことができる。クリックをするかしないか。目的を持って接することができるか。

 

承認欲求を満たすいいね、などの仕掛けは麻薬でもあって、脳のドーパミン分泌に直結している。中毒になってしまう原因はわかってもコントロールするには、気合でどうにかなる段階は過ぎているのかも。

 

自分がsnsから得ている情報とは何なのか。

 

最初の”お金が必要”に関して言えば、搾取され消費する側であるだけでなく、提供する側になることも大いにあるネットの世界。清濁両方を自覚して、溺れないで泳げということですね。しかし巨大企業はたくさんの人を溺れさせることで安定して利益を得てきた。自分も溺れている一人です。それでこの映画を制作するということは政治や社会問題に及んであまりにも危機に向かっているからなのか、もしくはこの危機提唱自体が美味しいコンテンツになるからなのか。

 

自分の子供に勧めないって意見だって、清潔な環境で育ったあまりに親の手を離れてから急に溺れることもあるかもしれない。

 

光あるところに影、あり。