田嶋陽子「愛という名の支配」感想
すべての女性に勇気を与える先駆的名著。書店で偶然見つけて買いました。刊行が1992年、そして2019年10月末に新潮文庫で発売されたとのこと。
田嶋陽子さんについて、フェミニズムの知識が無かった頃はうるさいおばさんとしかイメージがなかったので、今ではそう思っていた自分の感性が恥ずかしい。田嶋さんは愛にあふれる素敵な方です。
自身が消費される女性性として振る舞い必死に戦っていたとき、モテること、女性として男性から価値を見出されることを自分を押し殺して頑張っていましたし、無価値とされた場合の生の恐怖に追われていました。
そうやって盲目なうちは田嶋さんのような人を「モテない女のヒガミ」と思ってしまうのかもしれませんね。そういう問題じゃない。もっと非常に大きなスケールで、女性を、更には男らしさに捉われて苦しんでいる男性をも救済しようとしてらっしゃる。
自分は若い頃突っ走り続けていました。でも長くは続かない。もう走れないし走りたくない。何かがおかしい。そうこう考えているうちに周囲にフェミニストやフェミニズムに関係する人が増え、色々話を交わしたり、本を読むようになりました。
そうやって知ったのは、フェミニズムによって女性である自分は、癒され、エンパワメントされるということ。男性視点の価値によって自分をズタズタに傷つけていた無価値感が癒され、自分は価値ある一人の人間だと実感できるようになってきたこと。
そして誤解したらいけないのが、「フェミニズム」はイコール「ミソジニー」(男性嫌悪)ではないということ。だから、女性をエンパワメントしたからといって、それは男性を攻撃したり、下げることとイコールではない。そのあたりの誤解が、2019年現在まだまだ蔓延していると思います。
話を本に戻します。
一字一句が、とてもわかりやすい言葉で書かれています。1990年代の本なのに、今まだこの価値観はどのくらい知れ渡っているでしょうってくらい、読んでていて発見や共感、揺さぶりに満ちていました。
食わせてもらうことの屈辱が私の生きる原点
女を分割して統治せよ、それが結婚制度
恋愛が存続させた結婚という搾取システム
結婚とは、女の家事労働を無償化する制度
と、家事や介護が無賃労働であることを強調し(本当にその通り・・・!)スカートやハイヒールの由来とその意味、その強制などを言葉にしていきます。
小さく小さく女になあれ
女性の可能性を抑圧し摘み取ることで統治し、コントロールすること。自分を小さく見せなければ生きていけない構造になっている理不尽さ。上野千鶴子さんが東大の祝辞で述べていらしたように、東大生である、ということがそのまま女性の価値と繋がらないどころか、反比例するんですね。勉強が出来すぎたり、何かに秀でていると「かわいくない」って。
また、面白いなと思ったのが、若者の草食化について、
男性たちが征服による占拠・占領といった支配的な男女関係のセクシュアリティから一歩抜け出して
「男らしさ」という画一的な社会規範ではなくて「自分らしさ」というより自由な状態に移行しつつあるのではないか
この本では自由なセクシュアリティや触れ合いについて書かれていました。夫婦間でのレスなんかも、より「女らしく」して気をひくためにスカートを履いたりして、既存の社会的「男らしさ」価値観に合わせて解決する以外に、もっと別の次元で考えてみるのも大きく可能性がありそうですね。
書かれてから30年弱経って読んでも涙が出る、
エンパワメントされる本でした。
「すべての女性に勇気を与える先駆的名著」ここにあり。
おすすめです!