ഇങ്കോ

インコに向かって呟くだけの鳥籠🦜

映画「新聞記者」感想

夜の歓楽街で見てきました。

 

映画「新聞記者」


今の日本に生きていて感じるやるせなさを再確認するような体験、とても暗い気持ちです。思わずお酒とおつまみを買って帰りました、呑みながら書いています。自分としては記者さん役のシムさんのキレイな瞳に励まされた映画でした。

 

 

民主主義は生きているのか。ジャーナリズムは生きているのか。何を信じたらいいのかわかならくなるような出来事に溢れているような中に、葛藤もあって、己の直感でおかしいと声をあげる人がいて、自分さえ良ければいいからややこしいものは見ようとしない人もいて、自己保身に走る人もたくさんいる。

 

 

自己保身って言っても、その背景には家族や命のために、選択の余地がないことが描かれていました。官僚の杉原さん(松坂桃李さん)が妻と生まれたての赤ちゃんを背負っていたこと。対して記者の吉岡さんは、何も失うものがなくて、父親を自殺で亡くし、自宅でも仕事(真相解明)ばかり、それ以外のシーンがひとつもないというのも印象的でした。だからこそ、あのような動きができたんだと。

 

 

誤解を恐れずに言えば、記者さんに女を感じなかった。男に守られる(所有物としての)女として描かれていた官僚さんの奥さんと、対照的に描かれていた。今回レイプ問題を通して女性の人権も描写されていましたね。もし、記者さんが妊娠出産していたら、なにより目の前の子供を守らなければならず、ああいう動きがなかなかできない。今の日本では、女を感じさせないようにしないと、決して軽やかに全力で動けないですよね。(よほど周りの理解と協力がある場合は別ですが、そこに至らせるには日々の努力と恵まれた環境が必要ですね)。

 

 

また、今回記者さんは社会的立場もしっかりある人。極論を言えば、失うものが”本当に何も無い”人、つまり無敵の人という人たちは、真っ直ぐな動きどころか社会への憎しみが募った末に残酷な犯罪に繋がったりします。

 

 

話が逸れましたけど、誰かを守るため、大切な人を守るため、自分を欺いて不本意な仕事をしている人というのは今どのくらいいるのでしょう。この映画のように国家レベルで背負うことはないにしても。

 

 

魂を売り渡すような感覚で働いている人。もしかしてたくさんいるのでしょうか。それでも割り切れる強い人(鈍感な人?鈍感に心を遮断できる人)ならそれで生きていけるかもしれない。繊細な人、耐えられなくなった人は、精神を病んだり、自殺したりする。

 

 

じゃあどうしたらいいの?最初に戻りまして、記者さんの瞳が希望でした。こういう人が実際にいるかもしれない。一人でも多く。それを感じられることが希望。決して多数でなくとも、目に見える結果がコントロールされたものばかりであったとしても。魂が死んでいない人を静かな意志でもって応援したい、守りたい。魂が死んでいない人の存在は、希望です。

 

 

これはひとつの映画ですし、ひとつの視点であって、また内閣や総理やもっと上(?)や、いろんな視点があるんだと思います。

 

 

また多様性の視点から、ここで問われるような悪(改ざんしたり、人をコントロールしたり)ってなくならない気がしています。だから自分がそこに同調して生きることを選択したら一生そのままだし、そうでない生き方を選択したらそうでない人生を歩めるのではないかと。

 

 

記者さんの「このままでいいんですか?」の台詞。今、心を殺して不本意な仕事をしていて苦しんでいる人が、苦しまずに、解放されて、心が生きて、日々やりがいと心からの喜びを感じるような生き方も選べますようにってつくづく思います。

 

 

同調圧力が最上級な日本ではなかなか難しいのでしょうけれど。心が死にそうな人の心を生かしたい。 一人ではとてもできないけれど、自分の意志を向けておくことはできる。

 

 

こういう映画を撮って見ることができる日本、見てこういう文章が書けるネット、有り難いです。次は「主戦場」も気になっています。一部でプロパガンダと言われているのでしょうか、まずは知らなければ思考も判断もできないので、色々な視点を知った上で何を選ぶか、ですね。