ഇങ്കോ

インコに向かって呟くだけの鳥籠🦜

ピンポイントにアクセスする以外の余白

外出自粛もあり、ネットで事を済ませることが増えた。ネットだと、欲しいものや情報がピンポイントで調べられるから、ニッチな情報でも距離や時間を気にせず直で手が届く。

 

なんとなく街を歩いて偶然何かにときめくような、目的以外の出会はネットだと中々手に入らないのか。

 

フォローしている人が広めてくれたものを見る、友達の友達伝いで広まる。同じようなコミュニティの中で循環している感じがする。

 

ここに行けば何か面白いものがあるかもしれない。そんな偶然の出会いが減っている気がする。年を重ねることも関係があるのかもしれない。自分の感受性に錆が発生してしまっているのか。物を見る目が厳しくなってしまったのか。

 

ネットで目的のものを調べて効率的にピンポイントで買うということ以外の余白について考える。

 

 

 

「なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?」

なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?

 

2013年の本ですが、とても面白かったです。

企業合併・買収というお金の先端世界を経験した著者の洞察。

 

 

自分的に心に刺さった箇所4つ✏️

 

 

「コミュニティ」の価値

 

やがて国家が力を失っていき(それに伴うお金も)、衣食住と関わる企業とのつながり、世界中での個人のつながりの存在感が増していく中で、何に投資するか。コミュニティは最強の投資先。

 

「信用」の想像

 

信念(プリンシプル)を守ること。行動に一貫性を持たせること。その人は何を重視し、行動としてどこに一貫性があるのか。(信用の創造のための)あともう一つは、覚悟を持って価値を提供し続けること。

 

暇つぶしのリテラシー

 

失業率は労働解放率(←!)。もはや会社の多くは月30〜50万の年金を支払うための生活保護団体と化している。働く必要がないときに、なんとか従来の社会の指標ではなく、自分だけの「指標」を設計しなければならない。最初は単純なものでいい。アプリでジョギングを記録し、クックパッドのマイフォルダ機能で自分が作った料理のレシピを増やし続け、農園を作り野菜を育て収穫を記録する。小さな記録と小さな達成感から、徐々により大きくて、より社会的な目標が生まれ、貢献をお金に変換できるようになる。新しい時代の仕事の仕方。さらにそれを組み合わせて大きくするとビジネスに。ビジネスの本質は組織化。会社はその存在の必然性や使命に沿って活動しているときに効用が最大化する。

 

使命を探すのではなく私欲を削る

 

プロフェッショナルとは神に宣誓(プロフェス)する存在。仕事の姿勢を通じてエゴが濾過される。自分を透明な状態に保つ。できるだけ持たない生活をして世界に同期させる。21世紀のキーワードは「所有ではなく、使用」。

 

 

お金の定義も人それぞれでコミュニケーション・ツールのひとつ。鋭利性と暴力性。不安と欲望でお金は育つ。絶対的なコミュニケーション・ツールではない。最大公約数的なコミュニケーション。将来的には物事を無機化・数値化しないでコミュニケーションが行われ、かつそれが円滑に生産の上昇気流に乗せられる「お金のない世界」を考えていくこと。

 

 

ピカソがどれだけお金という性質をよくわかっていたかになぞらえて書かれていました。山口揚平「なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?」

 

 

得ではなく、価値を。 

そして有機的に。

 

 

 

 

映画「パラサイト」観ました

映画「パラサイト」観ました。重くのしかかってきて、昨日今日続けて観ました。カラー版と白黒版。

 

検索したら考察されてる人が沢山で、それらを読むのも面白かったです。ストーリーを知ってからもう一度観ると細かい伏線が散りばめられていて構成も見事。

 

貧困層だけを描くんじゃなくて、富裕層との対比が鮮烈でした。自分には何ができるのかと考えながら過ごしています。

 

富裕層は富裕層で、ああやって世の中の臭いものを見ずに過ごすことが、本当に幸せに満ち溢れている人生なんだろうか?と疑問に思います。

 

半地下の家族の行動にも、自分たちさえ良ければいいような身勝手なものも多くて(振り返って反省して想いを馳せる描写はあった)最初は共感できなかったですが、格差の不条理と闘うには真っ当に闘うのでは越えられない壁があるんでしょうね。

 

それにしても、地下の夫婦と協力できなかったことがまた悲しい。半地下でも地下でもお互いに横の連隊があればできることも増えます。協力し合って少しずつ世界を変えられないのだろうかと。皆自分とその家族を守ることに必死なのは、貧困層も富裕層も同レベルに見えました。

 

この映画では、臭いが格差すなわち住む世界を分断する象徴として描かれていました。どこかの地域で(ベルリン?)公共のシャワールームのような清潔を保てるような施設があったと記憶しています。そういった最低限の政治分配ができれば、このような悲劇は起こらないのでしょうか。

 

どう生きようか、自分には何ができるか。

 

万引き家族」は貧困でも人間的な幸せがあったしそういったことを描いていました。のしあがるだけじゃない、血の通った幸せのようなもの。「淀川アジール」に至っては、ホームレス生活が豊かで人も動物も寄ってくるという、見習うべき教訓に満ちたすごい生き方が紹介されていました。

 

「パラサイト」の場合、家族単位の繁栄、他を蹴落として富と名誉を得ることこそが幸せのような価値観を持っているかぎり、抜け出せないと思いました。やっぱり自分的にはどこに誇りを持って生きるか、でしょうか。どんな境遇の中にいても、富に溢れていても貧しくても。心だけは目に見える物質に全て左右されない。

 

劇中に半地下の母親が、豊かだったら私だって優しくなるっていう趣旨のセリフを言っていました。それには自分は少し懐疑的に思っていて、なぜならアウシュヴィッツでさえ助け合いがあったと言われているから。信仰心?モラル?教養?今それらは貧困によって手が届かないものなのかもしれませんが。

 

非物質的な豊かさは、この映画で描かれた貧困層にも富裕層にも足りていないんじゃないかと思わされました。

 

 

 

パラサイト 半地下の家族(吹替版)

 

 

 

 

 

来客はポジティブなエネルギーを与えてくれる

来客は家にあるネガティブなエネルギーを払拭し、ポジティブなエネルギーを与えてくれる。

 

来客をもてなす習慣は、そのような意義のある仕事をしてくれるということからも来ているらしい。

 

不意の来客を迎え入れられるスペースを用意しておくことは家にとってすごくいい。

 

来客が去ったあとは家は清められる。

 

 

REAL WOMAN: すべての女性の魂のために

 

 

「リアル・ウーマン」来客のことばかり書いてあるんじゃないですけどね。むしろそれは些細なことで、本題は女性の生き方の魂の指南書のような感じですが、家に関する記述も面白かったので。

 

 

老人と子供の居場所がある家。この世へ迎え入れられ、この世から去っていくためのプライベートで聖なる場所。

 

宇宙から隔絶した自分だけの隠れ場所をつくるのが家ではなく、もっとつながるためにある。ただ住むだけじゃそうはならない。

 

家族であっても人と人はわかりあえないと思う毎日だけど、家に住んで暮らすことで精神を病むより精神を高められる方がいい。規律と協力、精神性を高める場所になるには。

 

 

 

大切にするってどういうこと?

好きがきっかけで何かに惹かれる。

 

 

好きは揺らぐ。心のアンテナみたいなもので安定しない。一転して嫌いに裏返ったりもする、コントロールしがたいやつ。

 

 

好きがきっかけで縁を繋ぐ。

 

 

縁を繋げたら大切にする。大切にするってどういうこと?よくよく考えるとどうすればいいんだろうと思った。

 

 

相手の幸せを考える。相手が、求めていることを知ろうとする。相手が幸せになるように行動する。自分をぶつけることではない。ぶつけることが悪いということではなくてぶつけることは繋がりのきっかけにはなるかもしれない。

 

 

大切にするってなんだろう。無駄にしない。粗末に扱わない。優先する。必要とする。

 

 

大切な人に大切だよって言いながらも相手が望まない行動をぶつけていたらそれは、全然大切にしていることにならない。だから相手を知る。知ろうとする。どうすればそれは喜んでくれるか。人も物も事も。

 

 

自分を大切にするも同じだろうか。自分を無駄にしない。粗末に扱わない。優先する。必要とする。自分を知る。何を望んでいるのか。常に知ろうとする。どうすれば自分は喜んでくれるのか。

 

 

生きている限られた時間を優先する。優先して気をかける。

 

 

わかった気になっても、気分は移り変わる。相手も移り変わる。優先して気にかける。喜んでもらうように。粗末に扱わない。

 

 

そういった類のことが、大切にするっていうことなんだろうか。と考えていた朝。

 

 

 

 

 

 

 

 

映画「淀川アジール」身ました

「淀川アジール さどヤンの生活と意見」見ました。

 


 

おっちゃんが喋っている言葉は聞き取り辛いし、多分普段だったら自分は聞こうともしないだろう声を、スクリーンで聞く。映画というフォーマットは凄い。

 

生きないとあかんからな。この言葉が刺さった。職業、人間。仕事、生きること。

 

猫にせっせとエサをあげにくるおばちゃん達は、エサ代が高くつこうと生き甲斐だからエサをあげにくる。そんなおばちゃん達に生き甲斐を与えてあげている、猫。

 

底辺から見上げる世界って言ってたが、本当にこの世の中には色んな階層があって見える世界が沢山あるんだと思う。当たり前だけど。どんな階層にいても、お金があってもなくても、どう生きるか。さどヤンは眩しい生き様を見せていた。

 

日本は基本的人権が守られている良い国だ。日本に生まれて良かった〜って全身全霊で言っていましたね。嬉しいことも、辛いことも、受け入れている。

 

お金という目に見える尺度で計られがち。いや自分自身も計りがち。直ぐに自己肯定感を失いそうになる世界。お金を稼ぐことだけが仕事じゃあない、生きることが仕事だとしたら。

 

 

 

「死にたい」は「つくりたい」

坂口恭平さんが面白いです。

 

坂口さんは「いのっちの電話」っていう死にたい人なら誰でもかけられる電話番号を公開しています。


 

その坂口さんが言ってたことに「死にたい」は「作りたい」んだというようなことがあった。

 

なるほどと思いました。

 

 

楽しいことがないと人は死にたくなるって言われます。

 

アウトプットは自身にとって薬になる。考えてみたら自分もそう思います。

 

 

「自分の薬をつくる」この本もすごく良かった。

 

自分の薬をつくる

 

 

死にたい人の電話を受けるって相当大変な仕事だと思うんですが。

(本家の「いのちの電話」まで完全ボランティアってありえない。)

 

相談に対しこうやって流れを変えていくのかと気づきが沢山得られました。

 

世の中なんでもかんでもお金がないと楽しめないのではなく、

 

自分でやる、あえてやると薬になるということ。

 

 

 

自らの死を自ら選べる自由もあると私は考える派ですが、

 

自殺は減って欲しい。

 

命をもっと肯定される社会になって欲しい 、していきたいです。